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ほうきを持って立つマリア・ライヒェ |
ミラドール(展望台) |
その老女、マリア・ライヒェは1903年ドイツ生まれの数学者・考古学者、29歳でドイツからペルーに移った後は1998年に95歳で亡くなるまで、自分の財産も殆ど費やし地上絵の研究とその保護に生涯を捧げています。同史が観光客用に建立したこの展望台はナスカから北西に30分位パンナム・ハイウェイを車で走った場所に位置しており、ナスカ観光名所の一つとなっています。
地上絵 「木」 |
今日は午前中セスナで地上絵を鑑賞した後、午後は宿から紹介されたナスカ近郊ツアーに参加しました。約4時間コースで展望台、マリア・ライヒェ博物館等を訪れます。ナスカのミラドールから更に北西に暫く走ると、もう一つの展望台が見えてきました。その展望台からは、山の斜面に描かれている5人の家族を見ることができます。この地上絵はナスカの隣町パルパにあり、家族の絵以外にもペリカン、鳥、星 等の地上絵が近年発見されているとのこと。ガイドさんによるとこのパルパの地上絵の年代はナスカよりも遥かに昔であり、ナスカ地上絵と比べると家族・人に関して描かれた絵が多いとのこと。なお添付写真家族の地上絵、一番右の子供はこれから生まれてくるお腹の中の子供を表しているそうです。
最後にナスカの展望台近くの小山に登りました。ナスカの地上絵には、有名なハチドリ、サル、クモ、鯨等以外にも無数の線・図形が描かれております。ガイドさんがその幾つもの線の一つを選び、その線と地平線が交わる地点に太陽が沈む時期に穀物の種蒔きを始めたようだと教えてくれました。
ナスカについて私が初めて知ったのは30年以上も昔で、中学校の友達が買った月刊誌に地上絵の紹介が書かれており、友達と回し読みしました。その紹介には地上絵が描かれた目的として祭祀用、農耕用、もしくは何らかの土着宗教用途、果ては宇宙人来訪誘導用?とまで書かれてましたが、実際にナスカに来て地上絵を眺めているとこの南米西岸砂漠地方(*)のカルチャーの一つであったのではと何となく感じます(私に何が分かる訳でもありませんが)。
*ナスカほど有名ではありませんが、チリ・北部地方にも地上絵が残っています。
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チリ北部 イキケ近郊、ピンタドースの地上絵 |